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王手飛車取りねこまっしぐら!

【ネタバレ】12人の死にたいこどもたち感想

「12人の死にたい子供たえち」3回鑑賞記念wに感想を書いとこうと思います。

   ※本ブログ内容はあくまで私個人的な感想ですのでご了承ください
【注意事項】
    本内容は以下の要素を含みますので、問題ある方はブラウザバックを推奨します
    ・映画内容のネタバレ
    ・拙い文章力
    ・まとまりのない構成
    ・超個人的な見解
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【前提条件】
 まず前提として、私が「12人の死にたい子供たち」を初めて観た際、原作は勿論のこと予告編、出演者情報なども含めて前情報はほぼ一切無い状態でした。
 認識としては、「タイトルはなんか聞いたことある」「12人の自殺志願者達の話」と言う程度です。 この為、予告編を観たのは映画鑑賞後になります。
 と言うわけで、先に結論だけ言っておくと、3回も観ていると言う時点でお察しでしょうが、私はこの映画面白かったです。
 1回目は前情報一切なし、2回目は原作小説を読んでから、3回目はその直後という流れで観ています。
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【あらすじ】
 ネットの掲示板で行われた「集い」の参加者として応募し、合格した11人+主催者の計12人の未成年者が廃病院に集まり集団自殺を行おうとしますが、そこには既に実行してしまった謎の13人目が存在し、その存在を巡って物語が紛糾していくという感じです。
 ただし、予告編であったような、いわゆる「デスゲーム」系のサイコホラーな展開ではなく、あくまで淡々と一つの部屋の中で話し合いと推理が展開していく為、かなり演劇的な進行で進むいわば「地味」な演出の映画です。 映画鑑賞後に予告編を観ましたが、これがかなりミスリードな作り方をしているため、確かに「予告編詐欺」と言われても文句は言えないかも…… 私も先に予告編を観て居たら、だいぶこの映画の印象は変わって居たかもしれません。
    ちなみにタイトルからして「12人の怒れる男(‘54)」と言うアメリカのドラマ(後に映画化(’57))のオマージュになっている通り、この映画も同じ展開になっていますので、見たことある方であればなんとなく想像がつくかも。
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【良かった点】
 まずこの映画の良いところとして、「役者の演技力がすごい」という点。
 全員若手の役者さん(全員20歳前後)であるにも関わらず、それぞれのキャラクターの細かい心理をキチンと演じていて、2回目以降に見る事で何故ここで驚いたような表情をしたのか、何故今焦っていたのか、あるものを見て驚いた表情をした本当の意味は何だったのかなど、シナリオを知った上で改めて見るとそういう細かい部分が見えてきます。
 特に気になった俳優さんは下記の5名
 【7番アンリ:杉咲 花】
    さすがスタッフロールでトップを飾るだけあって存在感が凄いです。
    常に場を支配する様なオーラを発しています。
    理知的でクールだけど、他人に全く興味がない為にリーダーシップを取るには向かないと言うある種繊細なキャラ。
    嫌味ではなく興味がないという違いをちゃんと出していた感じがします。
 【8番タカヒロ:萩原 利久】
    とある理由により「吃音」と言う特徴を持つ少年で、物語前半では聴いててイラっとするレベルのかなりひどい状態なのだが、
    わざとらしさが全く無く、しかも物語中に「だんだん軽減していく」と言うかなり難しい台詞回しをこなしていた。
    また、冒頭では常に眠そうで吃音も相まって凄くおどおどした感じなのが、時間とともに理知的な印象に変わっていくのも凄い。
    (ちなみに何故そんな変化があるのかは物語中で判明します……本人は認識してませんが)
 【6番メイコ:黒島 結菜】
    ファザコンで利己主義なメンヘラヒステリー少女と言う難易度の高いキャラを見事に演じてましたw
 【11番マイ:吉川 愛】
    常時緊迫した物語の中の一服の清涼剤w
    マイが喋るだけでちょっとほんわかするレベルの明るいギャル役。
    たった一言で重苦しい雰囲気をぶち壊す天才かw
 【1番サトシ:高杉 真宙】
    腹黒いw
    ただ微笑んだだけで「何を企んでいるんだ?」と見るものを疑心暗鬼にさせる天才w
    鎧武のミッチから磨きがかかっている!
    ちなみに役柄的にはただのミスリードで、裏のないキャラクターですw
 そして「テンポよく話が進む」と言う点。
 舞台がほぼ廃病院の敷地内だけで、しかもほとんどの時間地下の一室内で進行するのですが、あまり中弛みの様なシーンは無く次々に新事実や展開が発生するので、集中して見る事が出来ます。
 最後に「登場人物が全員可愛い」
 超重要!w
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【悪かった点】
 逆にこの映画で良くなかったと思われる点は、まずキャラクター設定と見た目の乖離。
 登場人物は15歳〜18歳の未成年者なのですが、ぱっと見年齢相応に感じられる人が少ない為、最初普通に若い会社員やOLが集まっているような印象だった。この為「未成年者」である事があまり意識できなかった点。(まぁ、タイトルで「子供達」と謳ってはいますが……)
 特に1番のサトシは、常にクールで感情を一切出さず、事務的な対応しかしないキャラの為、設定では15歳(原作では14歳)なのに全く年相応に見えません。
 まぁ、そもそも高杉 真宙さんが22歳なので、ちょっと無理があるかとは思いますが。
 せめて学生服でも着ていれば変わったかもしれませんね。
 とは言え、これだけの演技を同年齢の子役俳優に出来るのかと言われれば疑問ですので、致し方ない感はあります。 なので映像化に際しては、各キャラ何かしら未成年である事を感じられる工夫があった方が良かったかも……
 ちなみにこれの何がダメなのかと言うと、登場人物は皆タイトル通り「死ぬ為」に集まっており、それぞれ「死ななければいけない」理由があります。 ですが、これはあくまで「未成年者」が「一人で悩んだ末」にたどり着いた結論であり、大人から見た場合「なんでそんな事で……」とか、「もっとこういう方法もあるのに……」みたいな拙い理由も散見されます。 これはあくまで「等身大の子供達の悩み」を再現しているからに他ならないのですが、それを理解するには登場人物が未成年者である事を印象付ける必要があるからです。
 この為、ぱっと見社会人に見えてしまうと、少々共感できない状態になってしまいます。 勿論、自殺の理由があくまで集まるためのきっかけだけで物語には関係ないのでしたらそれほど問題はないのですが、ストーリー上結構関わってくるので問題になってしまいます。
  次に新田 真剣佑さん演じる5番シンジロウが「超高校生級の探偵」である事。
 上の「子供っぽくない」と言うのにも被るのですが、映画の進行はほぼ「誰かが話をする > シンジロウが超推理で整理していく」と言うパターンで進む為、 実質上シンジロウ主演映画になっており、12人も居るのに勿体無いと言う印象。しかもシンジロウ自身は特に天才児だったとか探偵に憧れてて……といった様な設定でも無いので、かなり違和感があります。 むしろこの内容ならば、登場人物全員を「超高校級の○○」とかに設定してそれぞれ個性を出した方が良かった気がします。 観てる途中で「もうシンジロウだけで良いんじゃないかなぁ」と感じさせてしまうのは勿体無い。
 まぁ、これに関しては原作がそうなっている為、映画としては忠実に制作しているだけなのですが……
 あ、ちなみに真剣佑さんの演技は素晴らしかったですよ。
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【原作との違いと問題点】
 映画を視聴後、原作小説の方も読んだので、映画との違いと原作自体の問題点について書いていきます。
・一部キャラクターの自殺の理由
    映画版では一部キャラクターの自殺の原因が改変されています。
    改変理由はおそらく「重すぎる」「救いがなさすぎる」という感じでは無いかと思ってます。
    実際、変更されたキャラの理由は映画版でもしそのままだったら、それこそ全く最後の決断に納得がいかない事態になると思います。
    ですが、変更された方の理由が良くできており、物語の流れにもマッチしていて、よりキャラクター性を引き出す要因になっていたと思いますので、これは良い変更だったと思います。
・最後の決断の流れ
    ネタバレになってしまいますが、話の流れ上最終的に十二人全員一致で自殺の中止が決断されます。
    原作ではこの際に各キャラの自殺理由への対策や、お互いに連絡先を交換して一人で悩まず協力して生きていこうという流れになるため(ちなみにここでもシンジロウの両親が警察官である事が大きく影響します)、ごく一部のキャラを除いて決断にある程度納得がいく流れになっています。
    しかし映画版では何故かこの部分が無かったため、「え? 何も解決して無いじゃん、このまま帰ってももう一度自殺しようって流れにしかならないよね?」という状況になってしまっています。このため、一見ハッピーエンド的なエンディングで冷めてしまうという人が多いのではないでしょうか。
    正直私も初見の時は、最後のシンジロウの涙の演説にみんなが感情で流されただけ、という風に見えてしまいました。
・建物の構造
    舞台となる廃病院は、小説と映画で若干構造が違います。
    小説では地上4階地下1階ですが、映画では地上6階地下1階になっています。
    まあ建物の構造の違いそのものはほとんど物語に関係は無いのですが、ただ一点だけ問題が有ります。
    0番を人目に付かないよう隠しながら運んでいた犯人は、地下一階の集合場所の鍵が開けられた時点で6階に隠していた0番を運ぶため、用意されていたベッドを6階まで運びそれに乗せて戻ってきます。ですが、映画では部屋の入り口が一つしかなく、目の前にある7番のベッドを無視して、なぜか入り口から最も奥にある1番のベッドを運び出します。部屋に並べられた11台のベッドとその中央にある大きな机をわざわざ避けて1番のベッドを運び出し、0番を乗せて戻りもう一度一番奥の位置に戻します。これはかなり不自然な行為です。この為6階からどうやって地下へ死体を運んだのかという謎に対して説明が付けづらくなっています。ちなみに小説版では地下室の入り口は二箇所あり、1番のベッドは運び出しやすい位置にある為、違和感はありません。
    映画の方はあくまで「先に死んでいた1番」を演出する為にその様な状態になっていたと思いますが、ここは無理せず7番のベッドで運んだ後、1番のベッドに移した的な改変をしても良かったのでは?
 ・選抜テストについて。
    原作では、物語の途中で管理人のサトシがどうやって十一人を選抜したのか、その内容の是非に関して話し合うシーンがあります。
    登場人物達は、様々な心理テストなどを混ぜた数百問の膨大なテストに回答している事が明かされていますが、あまり重要なシーンでもないので、カットされている模様です。
 ・問題点:根本的な題材
    この物語は最初に言及した様に「十二人の怒れる男」のオマージュになっています。その為十二人の子供が出てくるのですが、単純にキャラクター数が多すぎる為、各キャラクターが把握しづらくキャラへの思い入れが難しくなっています。その上でこの物語は最終的に各個人が自分の命にどの様な決断を行なったのかが見せ場になっている為、一部の活躍した人物以外は何故その様な決断を行なったのかが判りづらいです。実際映画を見た人の感想を辿っても、その様な意見がかなり見受けられます。
    では元の「〜怒れる男」はどういう話なのかと言うと、登場人物はとある裁判の陪審員で、ほぼ満場一致で有罪に傾いていた場にたった一人の反対意見から話し合いの度に次第に反対意見が増えていき、最終的に判決をどうするのか?と言う話です。
    つまり、物語上「何故彼らはここにいるのか?」「彼らの人生とは?」というようなキャラクターを掘り下げる必要はないのです。あくまで十二人のやるべき事は、目の前の事件に関する証拠や証言の信憑性や、嘘をついている証言者を暴くなど、話し合いによる推理と問題解決に集中することができます。
    対してこの物語では、最後の決断を読者(視聴者)が納得するには、十二人の子供達全てのバックボーンや人生観をキチンと知る必要があります。これが無いと「何故その決断をするのか?」という作品の命題自体がぼやけてしまいます。映画では正にこれが起きたと言えるでしょう。何しろ2時間ほどの尺の中で、13人目が誰なのか?十二人それぞれが病院にやってきた正しい順番、集まる時間まで何をしていたのかを話し合いで推理していかなければならず、シンジロウが超推理で進めても殆どの時間がそれに費やされています。
    当然各キャラクターの詳細なバックボーンなど語る時間はありません。
    実際、「いじめられたから」「重い病気だから(具体的な病名は出ません)」という程度しか語られません。
    小説版はかなり分厚く、映画より細かく各キャラクターのバックボーンが語られていますが、それですらまだ足りないという印象でした。しかも小説版は小説版で、登場人物十二人が文章で入り乱れる上に、キャラクターを見分けるための序盤において、お互いに番号で呼び合ったり名前で呼んだりと統一されていない為、かなり読み込まないと誰が誰だか解らなくなりがちです。
    はっきり言って謎解き部分はシンプルにまとめ直して、各キャラクターのバックボーンをもっと掘り下げるべきではなかったのかと思います。
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【気になった箇所】
    まずそもそも気になったのは、廃病院に集まった十人程の人間が、それぞれ勝手気ままに動き回っている中、死体を抱えて引きずり回したり、キャスター付きの椅子に乗せて運んだり、あちこち走り回ったり、ベッドを地下から6階へ運んでまた戻って来て、大量の睡眠薬の錠剤を取り出して自殺に見せかけたり、そのあとさらに部屋を元どおりに戻して出て行くという行為を、一切誰にも見られる事なくやり遂げている違和感ですね。
    誰か一人でも時間通りに部屋に入ってしまったら、その時点でアウト。途中でばったり出くわしてもアウト。
    正直御都合主義と言われても文句言えないほどの綱渡りをしています。
    実際エンディングで出来事を時間軸通りに再現する映像が流れますが、ロビーで座って雑誌を読んでいる人のすぐ後ろで死体を運んでたり、ほんの一瞬の差でニアミスしてたりと、正直無理があります。
    そもそも無人の廃病院で死体を乗せた椅子やベッドを走らせているのに、すぐ目の前の人物に気づかれないとか無理ないですかねぇ?
    劇中、病院内の廊下を普通に歩いているシーンでは、カツーン、カツーン、と靴音が響きまくっているのに、死体を運んでいる時だけ無音なのは何故?忍び歩き99%振りなの?
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【原作を含めた総評】
    まだ中高生と言う若い子供達が、自らの死を選択して集まると言う中、その理由も傍目には軽いものや重いものなど様々な理由が語られますが「悩みに悩んで死を選択したその理由に貴賤はない」と受け入れていく姿は、ある種究極の包容力なのかもしれません。
    そして、十二人中七人の死の理由が親や周囲の大人を原因としていることに、やりきれないものを感じてしまいます。
    子供達を死に追い詰めたのが、親や身近な大人であると言う事が、ある種のリアリティを生み出している気がします。そして、子供達の閉ざされた世界では、容易に死へと追い詰められてしまうのかもしれません。
    本作でも、最初は死ぬ以外の選択肢を持ち得なかった子供達が、謎解きの過程でお互いの境遇を共有して行き、死以外の選択肢を見つけ出して行くと言う過程が、「一人で悩むな」と言う本作にメッセージなのではないかと思います。
    と言うわけで、本作は細かい部分のアラに目を瞑れば、結構好きな部類のお話でした。
    映画の方は問題点は多いけれど、役者さんの演技が良かったのと個人的にこう言う会話劇的な物語が好きなので、良かったと思います。ただし、かなり人を選ぶとは思います。
    あと、予告編、テメーはダメだ!w
    なるべく前情報無しで見たほうが楽しめるかと思います。
    てか、予告編で言ってた「デスゲーム」要素とか皆無ですからw
    個人的なおすすめは、「(何も知らずに)映画を見る」>「原作を読む」の流れですかね。
    この物語は、登場人物の証言をもとに嘘を暴きながら時系列を推理によって整理していくという展開なので、2回目以降はそれぞれ誰が嘘をついているのか、この時裏で何があったのかなど判った状態で観ると、それそれの役者さんの微妙な表情の変化や、カメラワークの真意などに気付く事が出来てなかなか楽しめます。
なんかまとまりのない読み辛い文章ですみません。
あなかしこ。

2019年2月5日 Posted by | 映画 | コメントを残す